旧 海 軍 兵 学 校

海上自衛隊 幹部候補生学校 第1術科学校

旧海軍兵学校
 アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスとともに世界の3大兵学校としてその名を世界にはせた旧海軍兵学校が、広島県安芸郡江田島町にあります。
看板
 旧海軍兵学校は、明治21年(1888)8月東京築地からこの江田島に移転後、終戦により昭和20年(1945)12月1日、約60年の幕を閉じ、以後の10年間は連合軍が教育施設等に使用していました。

 昭和31年(1956)1月10日返還が決まり、当時横須賀にあった術科学校が同年1月16日江田島に移転し、その後昭和32年5月10日に幹部候補生学校が開校、昭和33年4月1日には術科学校が第1術科学校と改称され、同日江田島病院が開設されています。

 そして昭和45年(1970)3月2日に少年術科学校が開校されましたが、昭和57年(1982)10月1日に閉校となり、これに伴い同日第1術科学校に生徒部が新設され現在に至っています。

 伝統、環境、名実ともに海の男のこよなき修練の場として、現在再び脚光を浴びています。

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幹 部 候 補 生 学 校

幹部候補生学校

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 幹部候補生学校は、海上自衛隊の初級幹部自衛官として勤務するのに必要な知識と技能を修得させるための訓練をしています。年間約500名の一般幹部候補生、幹部予定者、飛行幹部候補生等が教育を受け、3等海尉に任官して巣立って行きます。
 緑のじゅうたんを敷きつめたような芝生の中に建つこの赤レンガの建物は幹部候補生学校で、ここで将来海上自衛隊の幹部になる学生が日夜学業訓練に励み人格を磨いています。
 この建物は明治26年(1893)イギリスの建築家が設計、監督して造ったと言われており、またレンガはイギリスから輸入されたもので1世紀が経った現在でも全く昔と変わらないたたずまいを残しています。  
 敷地内には数千本の樹木が植えられ、芝生と共に緑に囲まれ正に教育環境としては抜群。
 右の画像は敷地内に多く見られる松の木です。杉ではありません。驚くことにどの松も天を貫くが如く真っ直ぐに育てられています。
 生徒達もこの松のように心身ともに真っ直ぐに育って欲しいとの願いをこめてのことだそうです。
 中には、人間と同じようにどうしても曲がってしまう松があるそうな ・・・
松

戦 艦 「 陸奥 」 の 主 砲

戦艦「陸奥」主砲

戦艦「陸奥」の主砲

 戦艦「陸奥」は、40cmの主砲を8門搭載していました。

 これはその4番砲塔で新式砲と換装のため、昭和10年(1935)教材としてここに設置したものです。

大 講 堂

 大正6年(1917)当時約30万円をかけて建設されたもので、国会議事堂に使用されているのと同じ倉橋島の御影石(花崗岩)で造られています。

 収容人員約2,000名で学生の入校式、卒業式などの行事に使われているそうです。

大講堂

これは正面か?

水 交 館

水交館

水 交 館

 明治21年(1888)文庫館(のちに水交館)として建設されたもので、今でも緑の中に映える赤いレンガが大変美しい建物です。
 海軍兵学校時代には主に将校の集会所として使用されていましたが、現在は江田島の迎賓館として使用されています。
 先日訪れたとき、防衛庁長官が来られるとのことで、近づけませんでした。
 総務課の方が総出で周囲を大掃除していました。

教 育 参 考 館

 この教育参考館には「東郷・山本両元帥の遺髪」をはじめ各層にわたる海軍関係者の書や遺品および第2次世界大戦において、日本の勝利を固く信じ、愛する父が、母が、兄弟姉妹が、そしてみんながいつまでも幸せになれるようにと、自らを犠牲にして国のために散っていった若き特攻隊員の遺書や遺品が保存され、年間10万人にもおよぶ訪問者の心に深い感銘を与えています。

 学生さん達も学業訓練のあい間に静かにここを訪れ、先輩の偉業を偲んで心の安らぎを得、また、明日からの厳しい訓練やしつけに精進しておられます。

教育参考館

教育参考館


 教育参考館の中は一切の撮影が禁止されています。
 しかし、何とかこの教育参考館の中に展示されている貴重な資料を多くの人に紹介できないものかと探し出したのが下のリンクです。
 これらのホームページで紹介されているものは教育参考館の中に展示されてあるものとは異なりますが、共通するところは多々あります。
 何かを感じ取ってください。

平 和 の た め に ・・ ・

回天特攻隊

敗戦濃厚の太平洋戦争末期、国、また愛する人々を守るために、回天(人間が操縦して敵艦に体当りする魚雷)特別攻撃隊員として出撃して、その尊い命を散らせていった、若者達の記録です。

予科練資料館 絶望的な戦況下、18,900名もの若者が特攻隊の体当たり攻撃で戦死されました。
このホームページは、この真実を正しく後世に伝え、悲惨な戦争を再び繰り返してはならないことを、多くの人々に伝えることが目的です。
特攻で亡くなられた多くの若者、そしてすべての犠牲者に対し、心より御冥福をお祈り致します。