赤 レ ン ガ の 謎

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赤レンガは本当にイギリスから運ばれたものなのか?


 「能美町誌」の174頁に「高田村の煉瓦」に関する記述があります。
 なぜか、この生徒館が建てられた明治25年と26年の頃の生産高に関する記述が掲載されていません。

 高田村の煉瓦の歴史は明治15年頃から始まっているのに生産のピークを迎える明治27年頃までの記載が全くないのは何か、非常に不自然さを感じます。

 しかも、176頁には、高田の煉瓦は輸入品安芸津方面の煉瓦よりも優れているとの記述があります。

 江田島の旧海軍兵学校の生徒館の赤レンガは、一般にはイギリスから輸入されたものとされていますが、明治21年に建てられた呉総監部のレンガが安芸津のレンガを使用しているのに、明治26年に建てられた生徒館(現幹部候補生学校)がイギリスから輸入されたものとは考えにくいのです。
 術科学校の見学者への説明も「イギリスから船で運ばれたと言われています。」という表現しかされません。
 なぜ、「イギリスから船で運ばれたものです。」と言わないのだろう?
 何回聞いても同じ表現です。

 なぜ、わざわざ遠いイギリスから運んだのか?
 対岸のすぐ目の前にすばらしい煉瓦工場があるのに・・・

 安芸津のレンガかもしれないとの説もありますが、私は、高田の煉瓦ではないかと思いました。

 高田は江田島兵学校の丁度対岸であり、当時の高田の煉瓦工場は海岸沿いであったことから、船で運搬するのであればすぐに運べます。
 能美町誌でも、このことを意図的に隠しているように思えて仕方がありません。

 これは、ちょっと突っ込んで調べてみたいと思い、能美町誌編纂委員の方にメールを送って返ってきた返事は次のとおりでした。

【 回 答 】


 能美町誌に関する質問事項,うれしく拝見させていただきました。
 能美町の歴史に関心をお持ちのようですね。ありがたいことだと思っています。
 町内には,2・3人関心を持っている若い人がいます。私たちは、このような若い人が、この町誌をたたき台にして、誤りを是正し、足らざるを補ってより立派なものに作りかえていくことを願っているのです。
 今後もいろいろご意見、ご質問を寄せていただければ幸いと存じます。

××× ××
 

高田の煉瓦に関するご質問について

1. 明治15年〜明治26年頃までの記述が能美町誌にないことについて
 これについては、資料が全くない。少なくとも見あたらなかった。明治14年頃から出されている広島県産業課編の「勧業年報」にもこの時期の煉瓦に関する統計資料は記載されていない。その理由は不明。
 煉瓦の生産は、きわめて一部の地域に限られていたため、広島県が見落としていたのか、それとも資料の収集過程に不備があったのか、あるいは産業報告を求められた各市町村の役場の抜かりがあったのか。あくまで推測であるが。
(注)勧業年報
 ○ 当時の殖産興業政策に基づき、産業奨励を目的として編集された統計資料で、明治14年頃から毎年その年都市の生産物、生産高、金額などを数字で表しているもの。
 ○ 各市町村ごとに、収穫物、生産物を詳細に分類して掲載されている。
2. 旧海軍兵学校生徒館の赤煉瓦について
 高田の煉瓦は確かに良いものであるが、粘土質が強いため、製品の外見が悪く、目に見える場所、つまり地上の建物の壁などに使用するには不向きであった。
 
 しかし、地下やトンネル工事には最も適した煉瓦であった。それ故、下水道工事、トンネル工事などに非常にたくさん使用されている。呉線のトンネルも、山陽本線のトンネル(広島区間)も高田の煉瓦を使っている。
 
 兵学校生徒館の壁には高田の煉瓦は上記の理由により使用されていない。あれは確かにイギリス製である。イギリスから煉瓦1個毎に紙で包装して運ばれてきたといわれている。
 これは当時、日本海軍とイギリス海軍との関係によるものではないかと考えられる。
 当時のイギリス海軍は世界最大かつ最強の海軍であり、幼児期の日本海軍は、これから多くのものを学び取ろうとした。兵学校にイギリスから教官を高給(明治20年代当時月額400円)で招へいしていることをもってでも明らかである。
 
 このような関係がイギリス製の煉瓦を使用したのではないかということが考えられる理由の一つである。
 高田の煉瓦は、おそらく下水道をはじめ、そのほかの地下工事に使用されたのではないかと思われるが、これを証明する資料は今のところ見あたらない。

 能美町誌において意図的に隠す理由は何もない。

以 上

 

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