三高山砲台跡(砲台山森林公園)

 明治27年〜28年(1894〜1895)の日清戦争後、ロシアとの国交が急を告げる明治31年(1898)2月を境に、呉軍港へのバルチック艦隊入航を阻止するため、広島湾一帯の数ヶ所に砲台の起工が始まりました。
バルチック艦隊入航を阻止せよ
明治31年(1898)6月1日、がんね鼻砲台起工、同33年9月20日竣工。
明治32年(1899)、能美島地方が呉軍港の要塞地帯に入る。
 しかし、砲台建築の計画は、この頃持ちあがったのではありません。
 明治18年頃からすでに砲台建築計画はあったのです。
呉・江田島地域が世界的軍港へ変貌を遂げた理由
明治34年(1901)3月、2年の歳月を費やして竣工したこの砲台は、28cm榴弾砲(りゅうだんほう)6門と連射砲2門を備えた198,000平方メートルにも及ぶ日本最大規模の砲台でした。
明治37年(1904)2月10日、ロシアに宣戦布告。
明治38年(1905)5月27日、東郷平八郎提督指揮下の日本連合艦隊が、対馬沖の日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅。

 以後一弾も発射されることなく大正8年に廃止となり、その後は正に荒れ砲台と化していました。

「沖美町では、この砲台遺跡を利用し、恒久平和を願い、より多くの人に親しんでいただくため、平成9年(1997)、砲台山森林公園(創造の森)として整備しました。」・ ・ と書かれた説明文があります。

砲台山マップ

登山口  美能付近の海岸沿い県道にある砲台山登山道(林道)入口
  

 林道からの眺めは、内海の島々が一望できてドライブコースによろしいですよ。

林道砲台山線

岸根と奈佐美の瀬戸
 林道から見た岸根奈佐美の瀬戸
  
attn.gif (152 バイト) 砲台跡へ行く時の注意 attn.gif (152 バイト)