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 日本海軍が世界に誇った重巡洋艦「利根」の資料館と利根公園が能美海上ロッジのすぐそばにあります。

 まず、「利根」がいかにすばらしい傑作艦であったか予備知識を得よう!

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 昭和13年(1938年)11月20日竣工した軍艦「利根」は数々の高性能を具備しており、当時世界中で最優秀といわれた偵察巡洋艦の最高傑作です。
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 太平洋戦争がはじまると、ハワイ真珠湾攻略への参加をはじめ、南太平洋、インド洋を駆け巡って活躍しましたが、昭和20年(1945年)、燃料不足のため呉軍港内、さらには江田島湾深奥部(中村)に洋上砲台として錨箔しました。(右の地図の×の海域)
 同年7月24日午前8時40分頃から米軍機の大群が「利根」に殺到し、熾烈な対空戦が始まり、この時4発の直撃弾を受け多数の死傷者を出し大火災となりましたが、乗組員の必死の消火活動により消火することができました。
  
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爆撃を受ける「利根」

 ところが、7月27、28日の両日、呉近海に分散している軍艦に対して大空襲があり、「利根」に対してもこの両日50機以上の米軍機が来襲し、乗組員は生命を投げ打って懸命に交戦しましたが、直撃弾や至近弾を被り大破し、左へ大傾斜してついには着底してしまいました。 
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着底した「利根」

「利根」が着底した海域の現在

 この3日間の戦闘により「利根」は128名の戦死者をはじめ多くの戦傷者を出し、その数は乗組員の半数近くを数えました。  
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現在のトトウガ鼻
右は、能美海上ロッジ

 この空爆により、能美島住民、特に中村、高田村民の被った被害は甚大で、「利根」が錨箔していた付近一帯沿岸の緑の田畑は被弾によって灰色と化し、江田島湾の風景を美しくしていた能美島中村のトトウガ鼻の岬は爆破され昔日の面影を無くしてしまいました。
    
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現存する能美郵便局旧局舎

 「利根」を狙った爆弾が外れて民家近くに落下し、爆風ににより家屋が倒壊もしくは半壊し、その下敷きになった人、親子生き埋めになって死亡する人や、グラマン(米軍戦闘機)が逃げまどう住民たちに残酷にも機銃掃射をもって襲いかかったため、かなりの死傷者が出ました。

 中村国民学校(現中町小学校)や中村郵便局(現能美郵便局の旧局舎)には随所に生々しい機銃弾の跡があり、空襲の激しさを物語っています。

 この時の村民の犠牲者は死没者だけでも17名を数えました。

   
 この戦闘と高田村民に関する手記が残っています。
  
 「利根」は昭和23年(1948年)5月浮揚、呉ドックに曳航、解体されましたが、この時、作業に従事していた能美島の住民は、艦内に残され、ヘドロに埋もれていた数々の遺骨を拾い集め、中町軍人墓地の一角に納め、無名戦死者の碑を建てて供養しました。

 その後、能美町では、有志が相集い、「軍艦利根戦没者慰霊碑」建設推進委員会が結成され、昭和40年(1965年)7月25日、「軍艦利根戦没者慰霊碑」の除幕式と慰霊祭が行われました。

 以後、「軍艦利根戦没者慰霊碑保存会」を結成し、「利根」生存者や遺族とともに毎年慰霊祭を行い、戦死者や町内犠牲者の供養が続けられています。

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軍艦利根戦没者慰霊碑

  
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軍艦利根資料館

 慰霊碑は、「利根資料館」(昭和62年建設)とともに能美海上ロッジ前にあります。
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 中町軍人墓地の一角にある無名戦死者の墓も歳月とともに風化していく懸念が生じたため、昭和57年(1982年)6月改建立され、墓碑銘は「能美沖対空戦軍艦利根戦死者之碑」と刻まれて毎年、慰霊祭・法要が行われています。

 中町軍人墓地は中町遺族会によって管理され、他の墓と同様に遺族会や中町婦人会によって年間を通じ、清掃・管理されています。

軍人墓地は中町八幡神社前の国道沿いにあります。

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中町軍人墓地