『能美町誌』(平成7年能美町発刊) 第二編 能美町の歴史より
 大きな武器を駆使して、人間と人間の殺し合いを目の前にし、平常心でおられる訳がない。こちらも半ば半狂乱の状態、但し、何のすべもなし。只、目を真っ赤にしてみるだけ。第1波約1時間、12時過ぎ第2波、3時頃第3波と同じことを繰り返す。
 小さい飛行機の音は金属音でキーンと言う音がして飛ぶ。機銃をカタカタと撃ちながらこちらに向かってくる時は生きた心持ちがしない。

 高田の村へも10数個の爆弾が落とされ、人も12名が死んだ。中には一片の肉片もなく死んだ人もいる。電線に片腕がひっかかって下がっていた人もいる。

 利根もこの日に数発の爆弾命中でついに沈む。他の艦も、大淀、榛名、皆沈んだ。

 利根の戦死者を高田のお寺で葬式をする。私も在郷軍人会長であったから大忙しい。

 箱に入れたお骨を白布で包んで120人並べての合同葬式で、遺族の人は一人もおらず、軍艦の艦長以下生存者と高田村民だけでの葬式。

 死んだ人はかわいそうの限りだが、日本国民全部がこうなるのではないかと思いつつ拝む。

 海ゆかば水つく屍、山行かばラッパの葬送曲、此の時程、腹の底にしみたることなし。とにかく敵がどこかへ上陸すればすぐ行くようになるのは目の前に見えている。行く限り戻る事なし、みんながこのとおりになるのだと覚悟を新たにする。

… 中 略 …

 8月20日頃(日は不詳)、中村陸地部の方へ防空壕を掘り屯営していた海軍兵は、沈没した「利根」の周囲を10隻余りのボートに乗り、何回も旋回して万歳の声を残し、江田島湾を後にした。

 多分、呉基地に帰ったのだと思う。 tone14.jpg (7506 バイト)
 その声が高田の方へもよく聞こえた。その心境はどうであったろうか。ともに生死の境を戦い、未だ艦内に多数の戦友を残して今別れる。

 数日前の連日の激戦を思いつつ、万感こめての万歳、将兵共に涙を流しておった事と思う。

 その心境察するに余りあり。