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『江田島町史』(昭和57年江田島町発刊)p.81 津久茂の地名より

・ ・ ・ ・ 、なぜ佐伯郡西能美嶋津久茂村になったのか現在まで不明である。
 能美嶋は「能美嶋にし(西)」「能美嶋ひがし(東)」の二つに分かれ、さらに西能美嶋は高田村、中村、鹿川村、畑村、岡村、是長村、三吉村、大王村、津久茂村の九つに分かれている。
 最近まで、津久茂村の人は高田村に相当の田畑を所有しているところを見ると、江田島に所属するよりわずか四百メートルの津久茂の瀬戸を渡る方が便利なため西能美島に所属したのかもしれない。
 言い伝えられているようにあるいは郡割のとき、佐伯郡と安芸郡の境己斐付近より飛渡瀬地峡を見透した線によりその以西を佐伯郡に編入し、津久茂は西能美島に属するようになったのかもしれない。
 昔は能美島は水軍の根拠地としてその活躍も目ざましく、城が築かれ、交通の要路に当たり文化が進んでいたので、住人が自然に「能美嶋にし」に所属することを希望したのかもしれない。
 いずれにせよ、同じ島で行政区画が違うのは納得できない。そのため大正十四年二月一日江田島と合併した。
 能美町高田には現在も津久茂田という名称が残っている。
 『下志らべ書出帖』によれば、高田村に相当の田畑を所有していたことが知られる。